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調布女子学生会館便り

調布女子学生会館便り

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読書の秋に大河ファンタジーはどうでしょう

2022-09-16
学生会館の館長は深夜まで起きていることが多いです。学生の皆さんの帰りを待ったり、いろいろな連絡を待ったりします。
深夜はとても迷惑なのでピアノも弾けませんし(^^;そんなことを言い訳に無料配信で映画やドラマばかり観ているのはご存知の通りです。

さて、アマゾンプライムで「力の指輪」が配信されています。まだ1シーズン、3作のみですが先が楽しみです。この際と思い、映画も三本観てしまいました(^^;

実は私はトールキン生誕百周年記念に出版された指輪物語の豪華本(と言えるのか、、挿絵はカラーで綺麗です)を持っており、読了済ですが何しろ随分前のことですので、この際読み返してみたいと思いました。また、シルマリルの物語なども手に入れたので楽しみです。

本を読んだ時は感じませんでしたが、映画はとにかく戦闘シーンだらけ、オークはエイリアン並みに怖いし、ドキドキしっぱなし。
けれどお話としてはとてもわかりやすいですね。

妖精や魔法使い、ドワーフ、もちろん人間より小さく弱い、人間の子供のようなホビットの強い心と献身が世界を救う、一言でいうとそんなお話です。
魔法使いは助言はしますが、その魔法によって戦局を変えたりはしません。あくまでも、地上に生きているものたちの共闘のために動きます。
ゴンドールの執政官はまだ生きている息子を道連れに、絶望して死のうとします。

そのシーンを観た時に、フランクルの「夜と霧」に出ていた言葉を思い出します。ナチスのユダヤ人強制収容所で、それこそいつ死んでもおかしくない状況です。それでも、「生きることを諦めない人だけが生き残った」(今、手元になく、正しい表現ではないかもしれません)と書いてありました。その意味がわかりにくかった、体感しずらかった、(もちろん体感などできませんが)のですが、ああ、このような状況なのかなと繫がりました。
周囲をとてつもない数の魔の軍団に囲まれ、執政官は絶望するのです。しかし絶望的な中にも一縷の希望を見出して抗う、精神力の尋常ではなく強い、人間、ドワーフ、エルフ、そしてホビットがいます。
これは物語でフィクションですが、まさにそういう者たちが生き残ったのです。もちろん、勇気をもって立ち向かいながら失われた命も数多あります。

トールキンは熱心なカトリック信者であったそうです。ですから、彼にとって死というものはまた新しい生への旅立ちだったのかもしれません。

小さな無垢なホビットだったフロドが指輪を持ったことにより心を蝕まれ、物語では勇者なのに、最後にエルフたちが渡る、永遠の島、それこそ天国のような場所へと旅だつのもせつない終わりですね。

秋の夜長に、長すぎるかもしれません(私の本は重すぎます)が、読んでみるのも良いのではないでしょうか。

調布駅前皮膚科の姉妹先生について

2022-08-02

調布駅すぐ近くに「調布駅前皮膚科」という皮膚科医院があります。
あまり似ていない、色白の姉先生と愛嬌のある活発そうな妹先生の二人で診療をしていました。

この先生がたには、主に子供がお世話になり、
子供が赤ちゃんの時、主人が水虫でしたので水虫様の症状から、医院に行ったことがあります。
「赤ちゃんは水虫になりませんよぉー」と笑った竹井先生ですが、ちゃんと検査をしてくれ「水虫でしたー」とまた笑いながらもどってきました。

明るくて、感じの良い先生でしたがここ数年、お姿を見かけないので
蕁麻疹で通院している事務局のスタッフがお姉さまの天野先生に聞いたところ、おなくなりになったということでした。

何となく調べていたら、上にあるように、最初に卒業された横浜国立大学に没後寄付をされたとのことです。


エントロピーが増えるでしょ、というのは化学をやっている者はよく使う言葉です。

この先生の死生観はあまりにも潔く、真似のできるものではありませんが、
全ての生命あるものは、分解されてやがて自然に還ります。(還らないで何世紀もあとに発見されたりもしますが)
こうやって分解して広がっていく様子をざっくり説明すればエントロピーが増える、と言うのです。

もともと、エントロピーが増大するのは自然の法則なのです。

お姉さまがまた、サバサバした性格の方で、とても良い先生ですよ。

私が死んで一年も経ったらみんな忘れるでしょう、と竹井先生は書かれていますが、忘れませんよ。先生はアイドルのあいはらゆうに似ていて、いつも笑っていましたね。

ご近所の良い話でした。

合掌

マルティン・ガルシア・ガルシアさんのリサイタル

2022-07-21
東京オペラシティ
もうひと月以上前ですが、6月3日に東京オペラシティ(京王線沿線です)での、ガルシア・ガルシアさん、通称ガルガルのピアノリサイタルに行ってまいりました。
突如、友人に、メルカリで定価送料込みで売っているわよ、とチケット情報をもらい、ピアノは大好きですので即決。
たぶん、サイト上では即完売してしまったのだろうと思います。

ガルガルくん、と言えばショパンコンクールでの鼻歌まじりの演奏が有名で、よく鼻歌で3位にはいったなと思うのですが、、そしてコンクール予選の配信などを観ていた私にはとても個性的に思えました。
しかし、実際のガルガルくんは、意外、スラリとした好青年、ポスターの横顔などはまだ流石20代、若さと少し幼さ(と書いたら失礼でしょうか)も見える美少年でした。
きっと真面目な性格なのでしょうね。すらりとしているのに、ピアノに向かうと丸まってしまいます。
鼻歌も終始聞こえましたが、なかなかの美声です。本当は鼻歌なしのピアノだけ聞きたいのですが、たぶん彼なりの緊張の緩和方法なのでしょう。歌えれば弾けるといいますし。

演奏は本当に繊細で素晴らしいものでした。汗だくになりながら6回のアンコールに応えてくれたり、、。ファンになってしまいました。
きっと鼻歌がなければ優勝していたのかもしれません。

SKAMという学園ドラマが投げかけるもの

2022-06-06
またまたアマゾンプライムのドラマの話ですが、、。

友人におススメされて見始めた「スカム・フランス シーズン3」。なぜシーズン3なのか、今、配信されているのがシーズン3だから、というのと海外でとても人気があるということです。スカムというのは語としては汚物のようなものを表しているようです。もともとはノルウェーで作られた学園ドラマで、今は各国でそれぞれ作られているそうです。各国で少しずつ設定は違うようですが、原作があってそれをその国にあわせてリメイクしているといった感じでしょうか。

かなり刺激的な内容(と思ってしまっている時点で私は既成概念の塊で堅い保守的な人間であることがわかります)ですが、本当にいろいろ考えさせられるドラマでした。
本当にティーンの15から18くらいの少年少女の考えることなのかな、と思ったり。

内容はさておき、心に残った学生たちのセリフがいくつかあります。
まず、空いた教室を学生たちの憩いの場にしようとダフネという名前の少女と個性的な友人たちが立ち上がります。ところが職員室のWi-Fiを盗用したり、不純異性交遊をしたりで校長先生からお取り潰しを宣告されます。
そこでダフネが「私たちはここができて、今まで話したことのない生徒とも話すようになり、友達が増えました。、、、多様性ということを学校や社会で学ばなかったらいったいどこで学ぶのですか?」
これには校長先生も黙るしかありませんでした。
これは、大人に対する、子供の問いかけでもあります。
また、LGBT問題にもかなり深く切り込んでおり、自分がゲイではないか?と悩む少年がシーズン3の主人公なのですが、ばれたら今までの友人に嘲笑われると思ったり、ゲイとしての初恋に揺れる部分は、とても胸が痛むものでした。しかもその相手は双極性障害を抱えていて、主人公はもちろん深刻に受けとめるのですが、
それまでずっと軽い、おバカなキャラとしか思っていなかったバジルという少年が「俺のお母さんは躁うつ病なんだよ。そんな難しくないよ。悪い時はそりゃあるけれど、具合の良い時に楽しい思い出を沢山つくればいいんだよ」と、軽く言うところは感動しました。
そんな励ましもあり、主人公の少年は1分1分大切に生きていこう、と決心します。

今、日本でもジェンダー、LGBT問題などについて、とても社会が敏感になってはいますが本質的には皆、理解していないのだと思います。
ただ、社会常識になっていて、日本人はそういった集団マナーには厳しいですから個人の意見はさておき、差別は止めましょう、と口先だけで言っている感じがします。

21世紀になっても、日本は世界的にみて、女性差別の激しい国であるし、そんなに寛容な国民性でもないのは日本人である私自身わかりきっています。
本音と建て前は当たり前、でも世界はこうなんだよ、世界の高校生はこんなことを考えて大人になるんだよ、と
私たち大人がまず理解しなければ、幼稚な、言葉だけのグローバル化にしかならないのではないかな、、と思いました。

Amazon Prime BBC テス

2022-05-19
調布女子学生会館便りと銘打っていますが、学生さんの個人的なことは書けませんので本当に私の日常など、全く意味のないことを書き綴っておりますがご容赦下さい。

学生のころ、トーマス・ハーディーの「ダーバヴィルのテス」を読みました。なぜなら、ナスターシャ・キンスキー主演の映画のタイアップコマーシャルが昔テレビで流れていて、その美貌にうっとりしたからです( ´艸`)若い私が読むにしては、女性の転落の生涯の話であり、読んでもその当時は面白く感じませんでした。
amazonprimeとネットフリックスを検索して、ナスターシャのテスが見られないかさがしたのですが、残念ながら無料では見られません。そこでBBC制作のドラマを鑑賞しました。

息子に「何観てるの?←余計なお世話」と聞かれ、「うーん、女の転落人生の話、、」と答えると「嫌われ松子みたいなもの?」「うんうん、まあそんな感じ、、」
と観ていたのですが、やはり大人になって観るといろいろな解釈もできて面白かったです。

原作の発表時は倫理観に厳格なヴィクトリア朝、この小説は堕落していく女性を描いたものとして受け入れられなかったそうです。
けれども、主人公のテスは過酷な運命に翻弄されはしますが、生真面目であり、自分を決して曲げない女性です。
悪役であるアレックも母から愛されず、テスの心からの愛を求めていたのではないかと思いますが、どうにもかみ合わない。
若い女性、はそういうものではないですか。どんなにお金や地位があっても受け付けない男性は拒むしかないのです。また、ここにテスの悲劇があります。自分に辛酸をなめさせた全ての元凶がアレックに集約してしまう。
運命の出会いをはたしていたかのような牧師の息子エンジェルとも、そもそもの出会いから掛け違いがあります。
エンジェルは優しい青年ですが、正直で純粋なテスの告白を許すことができません。
そのくせ、このテス以外の登場人物たちは自分たちが敬虔なキリスト教徒であることを象徴するような言葉、祈りの場面が多く描写されます。赤ちゃんに洗礼も授けられず、教会で葬ることもできないテス。この時の牧師の態度は酷すぎます。規律を守ることだけに執心するのは律法学者と同じではないですか。
全く、言葉と態度が反対であり、赦しということの本質を人間は中々見つめることが難しく、赦すことの難しさも思います。
そして、偽善者のなんと多いこと、、、。

それらのことをハーディーが描きたかったのかどうかはわかりませんが、
最終的に殺人を犯すまで追いつめられてしまうのは、ヴィクトリア朝の人々の厳格さ、人間のエゴなのだろうと思いました。

ドラマを見て、テスのまっすぐな純粋さ、生きづらかっただろうけれど、その心の美しさには感動を覚えました。

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